濃厚な脚やせ

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いま私がスケッチしようとしているマダムも、いかにもそんな感じの着こなしだ。 仕立てのよいグレーのフラノのパンッスーッ。
それに真っ白の薄手コットンのシャシを着て、襟を外にやや立てて出している。 首には紺地に細い白の横縞のシフォンのストールを巻いている。
このストールが男性のタイのような印象に見え、実にきりりと格好いい。 日本でセンスの良い人といわれる女性の中にも、マニッシュでシンプルな人はいるが、そういう人はたいていジュエリーやアクセサリーを嫌う。
すると本当に何もない、地味な印象になってしまう。 格好いいのだ、と言われればそれまでだが、私にはどうしても華がないと思えてならない。
黒のローファーに、靴下はスーツにあわせてグレーのスポーティなアーガイル模様。 手元を見れば銀色の大きな時計、両手にそれぞれひとつずつ、ダイヤらしき白い大ぶりの指輪をはめている。

短めの髪にちょっとお茶目な丸い眼鏡。 連れらしき女性と談笑する眼鏡の奥の目が、とても優しい。
日本人の若くない女性で、こんなにマニッシュな人を私はまず見たことがない。 もし日本人であったら、マニッシュな女らしさを通り越して、少々不気味な男装のヒトになってしまうことだろう。
あくまで女として華やかに見せているのは、このマダムの体型的な骨格の明快さ、華やかさと共に、きちんとジュエリーをしているからということもある。 耳元にも小さな白く光る石の上品なピアスをしていた。
このあたりのバランス感覚に、いつも私は感心させられる。 イタリア人は骨格そのものに華がある。
裸でいても派手な民族なのである。 その人が吟味されたジュエリー‐を「光り」としてプラスしている。
それによってさらに華やかさが加わる若くなくなったとき、女に必要なのは成熟した"華"ではないだろうか。 否定したシンプル、マニッシュには、ある片寄った感じがいなめない。
このマダムのように、たっぷりと豊かでおおらかな印象の"マニッシュ"に憧れるが、やはりイタリア人の骨格や男顔といったものがあるからだろうと思うと、なんとなくがっかりしてしまう。 日本人にはひと工夫もふた工夫も必要なスタイルだろう。
もう一人、私が毎回コレクション会場で姿を探す大好きなマダムがいる。 彼女はたいていどのショーにも中央に近い最前列に座っているので、まず間違いなくイタリアの大手の雑誌の編集長だろう。
この人が、実に小さい人なのである。 背は一五五センチあるかないか。
日本人としても小さい方だ。 やせてはいるが特にプロポーションが良いわけでもない。
というか、プロポーションに目がいかない。 それほど小さい印象なのだ。

ところがこの人が常に毅然として、かつエレガントなのである。 服装はこれまた超辛口好みで、いつもテーラードジャケットか丈の長めのニットに細身のパンツ。
彼女がパンツ以外の服を着ているのを一度も見たことがない。 背が低くてもかかとの低いローファーや布製の柔らかそうな靴をはいている。
彼女は量の多い黒髪の持ち主だ。 ゆるやかにひとつにまとめている。
卵形のノーブルな顔立ちと、そのまとめ方がぴたりとあって、まるでおとぎ話の中の王妃のようだといつも見惚れてしまう。 彼女のおしゃれのアクセントは、エスニックな大きめの、垂れ下がるイヤリングである。
あるときはいぶした金の輪の、またあるときは三角形の銀の台に石がはめこまれたもの、また別の日には黒く輝くビーズを連ねたものなど、いかにも「私は好き」という彼女の声が聞こえてくるかのように、そのイヤリングの趣味は一貫している。 彼女を一度、ごく近くで見たことがあった。
舞台の反対側から遠く見ていたときにはわからなかったが、日焼けした肌にかなりの雛がある。 四十代も半ばをとうに過ぎているのだろう。
彼女はいつもまつすぐに背筋を伸ばし、その美しい顎をクイと上げて、舞台を歩くモデルたちを見つめている。 どんなシーズンでも、元気がなかったり精彩を欠いていたりしたことがない。
はしゃいで、浮き足立っていたこともない。 「まっすぐな人」と私は彼女をそう呼んでいる。

まっすぐな姿勢、まっすぐな視線。 理知的な口元をきりりと結んで、またあるときはくっきりと微笑んで、いつも同じたたずまいを見事に保っている女性私はコレクションが開始される第一日目の第一回目のショーで決まって彼女の姿を探す。
いつもの定位置に彼女が座るとなぜかホッと安心する。 イタリア人の他のジャーナリストと比べても小柄すぎる彼女、若くない彼女。
それなのに何とスタイルがあるのだろう。 その揺るぎのなさは、何も知らない私にも暮らしの背景を想像させ、地に足のついた生き方を思わせる。
何より、彼女がマダムでありながら、決してオバさんではないということに、毎回驚きと強い共感を覚えるのだ。 彼女だけではない、ミラノコレクションで出会うジャーナリストの女性たちは、いくら年を取っていても決してオバさんにはみえない。
確かに彼女たちは、プロローグで述べてきた専業主婦の女性たちとは違う。 ファッションの最先端で仕事をし、自らが格好よくおしゃれであることを要求される職業である。
毎日、それなりの緊張感と職業意識をもって装い、生きているのだろう。 一般の主婦とのギャップも、さほどないように私には思えるのだ。
彼女たちは全身黒ずくめの服装をし、ファッション業界の人が世界共通にそうであるように、辛口のシンプル好みではあるけれど、四十代、五十代であっても"女″であることには変わりがない。 ファッション業界のキャリアウーマンも、専業主婦も、あくまでもまず"女"、次に年齢が来るという感じだ。

つまりそれぞれの年齢は年齢として、その前に女らしさがある。 その人なりの女らしさが年齢より先立っている。
年齢は"言われてみれば″という程度のものでしかないのである。 日本においては最初にまず年齢が来る。
つきまとってくると言ってもいいくらいだ。 若ければ「若い子」、年を取ってくればくるほど、女より年齢が前面に出る。
年齢が"女″を浸食してくる、食いつぶしてくるという印象である。 どうしてなのだろう。
日本という国が若者中心の文化だからなのだろうか。 男性たちの意識が女をオバさんにしてしまうのだろうか。
社会全体が若い女の存在しか望んでいないからだろうか。 何より女たち自身が「もう若くないのだから」「若者みたいで恥ずかしい」といった言葉を免罪符にして、女であることから降りてしまうからだろうか。

何よりラクだから、と。 本当にそのような生き方はラクで楽しいものなのだろうか。
イタリアの女たちが幾つになっても年齢に関係なく"女″でいられるのには、いくつかの理由がある。 その第一はイタリア人が「美しさ」というものに対して強い欲求のある国民であるということである。
一部のクラスの高い階層やスノッブな人々に限らず、国の隅々にまで行き渡っている特徴である。 イタリア語には「フィグーラベッラ」という言葉がある。
辞書で引けば「好印象」といったような意味と出ているが、むしろ「外見を気にすること」極端に言えばええ格好しいということである。 服装においても、またもって生まれた容姿においても、イタリア人は"美″を厳しく追求
する。 そこに逃げ場はない。

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